注目企業特集
世界最速を目指す抗体デザインで医療の常識を塗り替える――EMEが挑む「アニマルフリー」抗体開発の革新
株式会社Epsilon Molecular Engineering
代表取締役 根本 直人様
- 目次
バイオテクノロジーの進化が、現代医療のあり方を根底から変えようとしている。その最前線で、従来の抗体開発の常識を覆す「分子デザイン技術」を武器に、世界市場へ挑むスタートアップがある。株式会社Epsilon Molecular Engineering(EME)である。
埼玉大学大学院理工学研究科で特任教授としても務める根本直人代表取締役社長が率いる同社は、10年にわたる苦闘の末に独自のビジネスモデルを確立し、今まさに飛躍の時を迎えている。20代を「荒れた高校」の教師として過ごし、30代から研究の世界へ飛び込んだという異色の経歴を持つ経営者が語る、創業の原点と社会への「誠実さ」を貫く経営哲学とは。
異端のキャリアが育んだ「役に立たない研究」から「社会を救う技術」への転換
根本氏のキャリアは、一般的な起業家や研究者のそれとは一線を画す。20代の5年間、彼は教員として教壇に立っていた。しかも、校内暴力が激しく「朝から爆竹が鳴っているような」凄まじい環境の高校だ。その後、さらに困難な環境を求めて定時制高校での勤務も経験した。20代を教育現場で全力を尽くして過ごした根本氏は、30代を目前に「これからは自分の好きなことをやろう」と決意し、大学院へ入り直す道を選んだのである。
研究の世界への入り口もまた、独特であった。当時の指導教員からは「30歳を過ぎて博士課程に入る者は、ピンかキリかのどちらかだ」と言い渡されたという。「キリなら3年間好きな研究をして、ダメなら潔く別の道を歩もう」という覚悟で飛び込んだ。
当時の彼が選んだテーマは「生命の起源」である。目先の応用にとらわれると意図せず「人類の脅威となるものを生み出しかねない」という懸念から、あえて損得から離れ、「純粋に生命の真理」を追い求めたのだ。そして、その純粋な探求こそが現在の同社を支える革新的な技術の種となった。
博士号取得後、三菱生命科学研究所でのポスドクを経て、2000年頃には日本最初期のバイオベンチャー「ジェンコム」の設立に関わる。ここで最先端の研究開発とバイオビジネスの現場に触れ、技術と知見を大きく磨いた。
その後、産総研などの研究機関やベンチャーキャピタルでの投資業務、さらには埼玉大学での教官職と、産・学・官・金の全領域を渡り歩く。この多様な視点が、単なる研究者に留まらない「経営者・根本直人」の土台を形作った。
大学の枠を超えた「世界最速」への渇望

埼玉大学工学部で教鞭を執りながら研究を続ける中で、根本氏は一つの確信を得る。それは、抗体を極めて迅速にデザインする分子デザイン技術の見通しだ。
通常、1週間から1ヶ月を要するプロセスを、わずか1〜2日に短縮できる。根本氏は、この技術を機械化・自動化すれば、世界最速級のプラットフォームになり得ると考えた。しかし、ここで大学という組織の壁に直面する。「速くする」「安くする」といった産業的な効率化は、学術的な「新しさ」とは見なされにくく、公的な研究費がつきにくいのである。
根本氏:「産業的には安く、速くなることは非常に重要。だが大学の中ではできない」
このジレンマが、根本氏を再びベンチャーの世界へと引き戻した。2度の起業経験からバイオベンチャーの厳しさを誰よりも知っていたが、それでも世界最速を目指す技術を世に問うために、自ら登記所に足を運び、EMEを立ち上げたのである。
創薬ベンチャーの「形」を脱ぎ捨て、真の自立を目指す
創業当初、EMEは自社での「創薬」を掲げた。しかし、根本氏は事業を進める中で、自社の真の強みと役割について深く考えるようになる。創業7年目、根本氏は大きな決断を下す。外部資本による資金調達に依存し続けるビジネスモデルではなく、自らの技術提供によって確かな収益を生み出す「自立型」モデルへのシフトである。
根本氏:「経営的な意味で必要だというだけで、自分自身が心底治療薬を欲していたわけではなかった。それは自分の生き方に反している」
未知の市場開拓という挑戦ではあったが、結果として前期(9期)には黒字化を達成。現在、数年後の上場を見据えた健全な成長軌道に乗っている。
独自のVHH抗体技術と「アニマルフリー」の追い風
< Antigen(抗原)とVHH抗体の結合模式図(CDR3は抗原認識部位)。EMEでは、動物免疫を必要とせずにVHH抗体を短期間で提供することが可能 >
EMEの主力サービスは、従来の抗体よりも圧倒的に小さな「VHH抗体(ラクダ科の抗体)」のデザインである。この小さな分子は、従来の抗体では届かなかった領域へのアプローチを可能にする。
さらに、同社の技術には大きな時代の追い風が吹いている。それが世界的な創薬プロセスの転換だ。
現在、米国FDAをはじめとする規制当局は、前臨床評価において動物実験への依存を減らし、より人間に近い代替手法(非動物試験)を活用する方針を打ち出している。根本氏はこの状況を「倫理的な観点のみならず、より高精度で効率的な抗体開発が求められる時代が来た」と捉えている。
現在、動物を用いない手法として「AI創薬」が注目を集めているが、コンピューター上の予測だけでは実際の生体反応を完全に再現することは難しく、最終的には物理的な検証(ウェット実験)の壁にぶつかることが多い。
ここで真価を発揮するのが、動物免疫に依存しない同社の中核技術「cDNAディスプレイ技術」だ。従来のファージディスプレイ技術では細胞を利用するため、探索できる分子の多様性に物理的な限界があった。しかし、細胞を用いないセルフリーディスプレイである同社の技術は、ファージディスプレイの約1万倍にあたる「10の13〜14乗」という桁違いの探索スペース(ライブラリサイズ)を誇る。
純粋なAI創薬が抱える「実証データの壁」に対し、EMEはこの天文学的な規模の物理的ライブラリを持っている点が最大の強みだ。この圧倒的な探索スペースでのスクリーニングと、AI・機械学習を組み合わせることで、動物を一切使わず、スピーディーかつ極めて高精度な抗体デザインを実現しているのだ。
また、もう一つの柱が再生医療分野への貢献だ。再生医療に欠かせない「細胞増殖因子」は、極めて高価で保存も効かないという課題がある。EMEはこの因子を独自の技術で安定化させ、バクテリアで安価に大量生産する手法を確立しつつある。これにより、再生医療を誰もが享受できるものへと変えようとしている。
働きやすさが「品質」を生む、人間中心の組織論
バイオテクノロジーの現場を支えるのは、高度な専門性を持つ研究者や技術者たちである。EMEでは女性研究者も第一線で活躍しており、根本氏は「性別やライフステージを問わず、子育て世代を含め、優秀な人材が最大限に力を発揮するためには、柔軟に働ける環境作りが不可欠」と断言する。
EMEでは、社員に子供が生まれた際や入学などのライフイベント時に、祝金を贈る制度を、創業当初から変わらず継続している。また、子どもの急病などでも気兼ねなく休める体制を整え、フレックスタイムやリモートワークも積極的に導入している。
根本氏:「細かく管理するのではなく、現場の自主性に任せる。身近な家族を大切にできない人間が、社会に役立つ会社を作れるはずがない」
この徹底した人間中心の考え方が、同社の誇る品質へのこだわりを支えている。現場の人間が精神的なゆとりを持ち、誠実に技術と向き合える環境こそが、顧客からの厚い信頼を生み出しているのだ。
社会の役に立つという「確信」が幸せを呼ぶ
インタビューの最後、根本氏はこれから起業や挑戦を目指す人々、そして若い世代へ向けて、自身の歩みを踏まえた力強いメッセージを寄せた。
根本氏:「人間が幸せになれるのは、自分のためではなく、社会や誰かのために役立っていると実感できた時だ。自分が社会に役立つものを見つけたと確信できた時、それが起業の起点になる」
先の見えない暗中模索の中で、教育、研究、ビジネスと渡り歩いてきた根本氏。その言葉には、実体験に裏打ちされた重みがある。
根本氏:「一生懸命、誠実に目の前の人と向き合い、継続していけば、必ずなんとかなる。自分が面白い、正しいと思うことを信じて突き進んでほしい」
株式会社Epsilon Molecular Engineeringは、単なるバイオベンチャーではない。それは、一人の研究者が社会への誠実さを問い続け、日本のバイオ産業に新たな自立の形を示そうとする、壮大な挑戦の記録である。同社がデザインする小さな抗体は、やがて世界の医療を、そして人々の幸福を大きく変えていくに違いない。
記事要約
- 事業の核心:独自の「cDNAディスプレイ技術(セルフリーディスプレイ)」と、データベースから設計したヒト化VHH人工ライブラリ「PharmaLogical® Library」を組み合わせた高速VHHスクリーニング&プロファイリングサービスを提供。
- 強みと挑戦:動物免疫を必要としない「アニマルフリー」な抗体デザインを推進。10の13〜14乗という膨大なライブラリサイズにより、30営業日での迅速なヒットクローン取得を可能にしている。
- 経営の転換:外部資金に依存する創薬モデルから、自社の技術提供を軸とした持続可能な収益化モデルへ転換。前期(9期)に黒字化を達成し、自立した形での数年後の上場を目指す。
- 組織文化:女性研究者も第一線で活躍し、性別やライフステージを問わず誰もが働きやすい環境を整備。創業当初からの祝金制度や柔軟な勤務体制を通じ、「身近な人を大切にすること」が会社品質の根源であるとの信念を持つ。
- 起業哲学:20代の教員経験、30代からの研究開始という異色の経歴。社会に必要とされるものを誠実に作り続けることが、起業家の生きがいであると説く。
取材企業の概要
- 企業名
- 株式会社Epsilon Molecular Engineering
- 住所
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〒338-8570
埼玉県さいたま市桜区下大久保255
埼玉大学オープンイノベーションセンター研究棟208室(埼玉大学キャンパスマップ34番建物)
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